「出来ない人」なんて本来はいない・・・のかもしれない

今私は個人的に英語を教えている人がポツリポツリといたりして

それから、仕事やその他の場所で「学ぶ」と言う行為をしているあらゆる人を見ていて

思うことがあるの。

 

それは、本来なら「出来ない人」って言うのは

いないんだろうなぁって言うこと。

 

「出来ない」って言うのは、何かしらの枠や基準があって

それに当てはめたときにうまく機能しないから、相対的に「出来ない」と言うだけなんだろうなって。

 

ある人は、ある場所では「仕事が出来ない人だ」というレッテルを貼られていた。人が言ったことをなかなか一回では覚えられない。簡単な事務作業でなんどもミスをする。仕事覚えが悪い。そういう理由で。でもその人は、体を使って何かを習得するのはものすごく上手だった。一定の動きをするときの力の入れからや角度の持っていき方、ぜつびょうなバランスの形の作り方・・・それを体で覚えて自分のものにするのが得意だった。

 

それから、体力があるというのもその人の才能の一つだし、強い精神力(鈍感力?)を持っていることも魅力のうちで、それが出来ない人からして見たらその人は「できる人」になる。

 

 

大切なのは、自分にどんな素質、才能、性質があってどうやってやればそれらを活かせるのかを自分自身で知ってること。自分の活かし方を知っていること。それから、何をすれば、どこで誰といればそれが発揮できるのかを知っていること。そして、出来ないことは卑屈になるのではなくただ淡々と「これは出来ないな」と受け入れてその部分は人に頼って、自分は自分のできることに集中すること。それぞれ適材適所で、必要であることを理解すること。

 

「あの人は仕事が出来ない」とか「頭が悪い」とか、「ダメなやつだ」とか批判ばかりする人は視野が狭いことが多い。一つの偏った視点からしか人の良し悪しを判断できない人。だからほっておけばいいの。

 

ほうっておいて、自分は自分のことに集中する。

 

 

 

 

でも残念なことに、全てが「できる人」の種は持っていながらもそれが実らない場合もある。特に大人の人、としを重ねた人を見ていて思う。

 

例えば、子供の時に自分の「できる」がわからなくて、周りの人もきっとそれを認めてはくれなくて、そのせいで自分に何ができるのかもわからないような人がいる。自分には何が得意で何が苦手なのかがわかっていない。

 

それから、元々の素質はありながらもそれを伸ばすための努力を十分にしてこなかった人もいる。

 

それから、才能の使い道を間違えている人もいる。せっかくいい才能があるのに、それを自分も他人も貶める方向に使ってしまう人とか。

 

 

 

世の中には本当にたくさんの人がいます。時々疲れますが、とても刺激にもなります。

 

 

私は自分と向き合って、努力をしようと決めた人が好き。

人に依存せず、劇的なドラマを求めたりせず、ただ淡々と粛々と小さな努力を重ねて行ける人が好き。

そういう人が私の元に来て、例えば英語を勉強するようになったりすると、面白いことに勉強を続けていけばいくほどその人の奥深い人間性や特性、キャラクターのようなものが見えてくる。才能や、才能の伸ばし方も見えて来たりする。

 

勉強しているのは英語なんだけど、英語の勉強は英語だけでは終わらないの。

 

きっとそれってどの分野の勉強においてもそうなんだと思います。

 

ただ、コンテンツを教えるのかその先にある「学びかた」を教えるのか・・・それによって見えてくるものは全然違うとは思います。

 

 

私は人に「英語」をそのものを教える気はあんまりない。それよりも、どうやって勉強するのかとか、一人一人がどうやって自分に合った勉強の仕方を身につけていくのかの方に興味があります。

 

教えていて面白いのは、学び方や最適な教え方が本当にみんな千差万別だということ。

何が得意なのか、何が苦手なのか、何を勉強したら一番効果が上がるのか・・・本当に人によって違う。そして勉強を続けていくうちにそれがどんどんわかってゆくのがとても面白い。

 

だから私はこれからもずっと、誰かしらに何かしらを教え続けていくのだろうなぁと思います。

 

 

今日の文章は本当にまとまりがない。

 

終わり。