あえて説明しないことも大事なわけで

どれだけ説明しても、分かってもらえないものは分かってもらえない。それは例えば、私が普段考えてるたくさんのこととか。学術的なものもあれば、突拍子もないだけのナンセンスなようなものもある。普段、他の人とはなんとなく違うんだよなぁと思いながらもそのモヤモヤをうまく言語化できないものもある。例え言語化出来たとしても、当たり前を当たり前として生きてる人にはそこに疑問を呈すること自体が疑問なのだろうと思います。

 

良い意味で、吹っ切れてきたような気がします。人に100%理解してもらうことは求めないし、なんかそれすらも面倒だなぁって。それだったら私は私の内側にある世界を、時々何かしらの形の表現にするだけにして、そこに説明も解説もつけないでおくのがいいのかもしれない、と。

 

It's open to interpretation.

 

私はいつでもどこでも私以外の何者でもない訳だけど、人によって私をどう見るのかというのが全く違う。それぞれが、それぞれの視点から世界を見ているから当然といえば当然だけど、それでもなんだかおかしいなって時々思います。

 

ある人からみたら私は男みたいな人で、ほかの誰かから見たら女性らしい人で。私のことを面倒なやつだと思う人もいれば、面白いと言う人もいる。大人しそうと言う人もいるし、積極的でアクティブだと思う人もいる。どれも正しいし、どれも私のたったひとつの側面。

 

どうせ何もしなくても人は勝手に自分の見たいように他人を見るのだから、それならもう「こう見られたい」を気にして自分を取り繕う必要も全くないんだろうなって思いました。

 

他人に対する期待もなくなったし、肩の力が抜けた感じもある。

 

 

少しずつ、新しい方向性が見えてきたような気がします。