品ってなんだ?

最近ね、初対面の人にも仲良くなった人にも言われることがあります。

 

それは、「おしとやか」「優雅」「品がある」

 

自分では、全然品がないと思っているし、なんなら子供の頃は家族の中で一番お行儀が悪いことで有名でした。笑 ものをよく落としたり、食べ物をこぼしたり、散らかしてしまったりすることがしょっちゅうだった。

 

 

 

もしかしたら、それで恥ずかしい思いもしてきたから、人前ではいつも以上にゆっくり慎重に動いている部分があるのかもしれません。動きにそつがなくて、早いんだけど無駄がないからすっきりしなやかに見える・・・そういう人が子供の頃から周りにいることが多くて、彼らに対して自分ってまだまだだなぁって恥ずかしかったから一生懸命真似をしたのかもしれない。

 

高校の時に、言葉づかいが粗雑なのは嫌だったから意識をして一人称を変えたり「うざい」「キモい」などの言葉を使うのを辞めたりしたのを今思い出しました。周りの友達は、若いということもあってそういう言葉をたくさん使っていたのだけれど。

 

それから、日本語の文法や言葉の選び方に厳しいというのもあるのかもしれない。日本語を教えていたのもあって、へんな敬語の使い方はやっぱり気になってしまう。(二重敬語は特に気になってしまいます。もっとシンプルに、敬意を保ちながら言える方法があるのになぁっていっつも思うの)

 

 

私、今まで「お嬢様」「育ちがいい」って言われるのは、皮肉か悪口か何かだと思ってた。私の周りには本物のお嬢様がたくさんいたから私は本物じゃないって自分で思っていたし、何よりも「それってつまり世間知らずってこと?」って思っていたの。

 

でも多分それは自分が世間知らずだっていう自覚があったからなのだと思う。だから、世間を知りたいと思って本当にいろんな経験をして、いろんな世界にいるいろんな人と交流しようとする。その度に、自分とは文化(育ってきた環境や当たり前だと思っていること)があまりにも違い過ぎて苦しんで、ひどい時には病んでしまったりしてしまうのだけど、それすらも自分で選んでやってたんだなぁとふと思った。大学院が心地よかったのは、単に勉強が好きだからとかそういう理由じゃなくて、自分と同じような背景で育ってきた人が多かったからなのかもなぁと思いました。

 

私は日本生まれ日本育ちで、家族もみんな日本語しかできなくて、それでも海外で生活していたわけで、それで「似た境遇で育った人が多い」っていうのはなんとも乱暴な気はしますけれど少なくとも両親は教育や芸術を大切にしていて私に良い教育を受けさせてくれた。子供の頃から、良いものに触れさせてもらえた。その恩恵なのかなぁと思ったわけです。うちは決して裕福ではない。でも、一般家庭の経済状況の中でどこに一番お金をかけて大切にするか、何をどう子供に教えていくか・・・そういう部分ではかなり豊かだったんだろうなって思います。

 

 

 

私は今もまだ自分に品が足りないと思っているし、しかるべき教養が足りないなぁとも思ってる。実際研究だけをしていればある程度そういう部分には目をつぶっていられたりするものですが、私は自分のための修養がもう少し必要だと思った。今日本に帰ってきて色々なことを経験しようとしているのも、一つにそんな理由があるのだと思う。私が日本に来る前にやりたかったことは全て立ち居振る舞いをしなやかにするような、そんなものばかりだから。

 

 

無意識ではあったけど、今までのお仕事で私は教養や立ち居振る舞いに関してかなり多くのことを学び、習得したなぁと思います。

 

一つ目のお仕事では、無駄がなくて素早いんだけど品がある身のこなしを学びました。歩き方や姿勢の保ち方、人を通す時のスムーズな動き方、丁寧で穏やかな言葉遣いと柔らかなやさしさ・・・私はおっちょこちょいで先制してる時なんかよくつまづいたりいろんなところに体をぶつけたりしてたのだけど、それが少しだけ良くなりました。

二つ目のお仕事では、専門分野ではない一般教養を幅広く学べたなぁと思います。今までは狭く深くの世界で生きてきたから、たくさんの情報に囲まれながらそこから鮮度が良くて質の良いものをピックアップしていく・・・っていう作業を集中してやっては来なかった。でも、そういうものも社会で生きていくためには必要なわけです。私は、過去と未来(多くの人がまだ気づいてないこと)は得意なんだけど「現在」がどうも苦手みたい。現在って言っても厳密にいうと現在に限りなく近い最近の過去・・・ということなのだけど。今までは、社会から本当に遠く離れた安全なところで望遠鏡を使って現代社会を観察している、という感じだったのが自分なりにかなり近づけるようになったんだなぁと思います。恐る恐る、指でつつくことくらいはできるようになったかな。

今のお仕事は、私がこれからやって行きたいことに限りなく密接に関わっているお仕事。私はここでしばらく腰を据えて頑張りたいなと思ってて、それは何かはわからないけれど私が探しているものが見つかりそうな気がしているから。探しているものをいうのは、次なるインスピレーション、仕事であれ研究であれのひらめきなようなものなのですが。これから先、「知る」だけでなく動かしていく力もきっと私には必要だから今はそれを十分に学ぼうと思ってます。何よりも、日々質の良いものに触れて周りの人たちと丁寧にコミュニケーションをとれるのが本当に幸せなので毎日楽しいです。

 

私が穏やかに暮らせているのも精神的に余裕が持てているからだし、この落ち着きは実は本当に最近になってやっと私の元に戻ってきたものです。不器用なのかなんなのか、日本に帰ってきて一年かけてようやく私は日本で自分自身の平穏を取り戻すことができました。それまでにだいぶ大きく傷を負ったりもしたけれど。今となってはいい思い出です。

 

 

今日、仕事仲間とお話をしてて私がいつもいそいそしていない理由聞かれて、「のんびりするのが何よりも好きだから、やるべき仕事をさっさと終わらせてあとはゆっくりできるようにしてるんです」と私は答えた。大学院にいた時も、心の余裕なく働いたり勉強詰になったりするのが嫌だったから私は課題も勉強も短時間で終わらせてあとはゆっくり過ごしてた。大学院の勉強や大学での仕事の良いところって時間に縛られないところで、やることさえやっていればあとはどこで何をしていても割と自由なところ。大学で教えている時、勉強している時の私の最優先事項は睡眠時間と「ゆっくりする時間」だった。

 

 

人から「優雅」と見られるのはきっと、私の「のんびりタイム」を何よりも優先する姿勢からくるもので、品のない自分を改めるために修練した結果のもので、素養ってやっぱり育って身につけていくスキルであり教養なんだろうなぁと思った次第でございます。

 

品のある人になりたいし、品のある人が私は好きなんだなぁ(だから真似っこしたりするんだなぁ)と思います。

 

P.S. 「品ってなんだ?」と考えて見て思ったのが、品っていうのは人に対する思いやりなんじゃないかなということ。身だしなみを整えて綺麗にするのはそれで周りの人たちが癒され、気持ちのいい気分になるから。そしてそれは他人だけでなく自分の気持ちも満たしてくれる。何かに対してお金を使ったり贅沢をするのも、そこに誰かに対する思いやりがあってこそのもので、そうでなければただの成金主義の品の悪いお金の使い方になってしまうような気がします。どんな時も、心の奥底で自分のことしか考えていない人は言い方が悪いけれども浅ましくて品がないなぁと思ってしまう。それは、見た目を着飾ったり表面の言葉尻を優しくしたり誰でもにニコニコするのとはまた別の次元のお話です。人にモテるのと、品があるのは別物です。どんなに荒々しいことをしても、好き勝手振舞ってもどこかで品がある人っていうのは心根が優しい人だったりする。私は人のそういう部分を見るのがとてもとても大好きです。

 

終わり。