好きな人と必要な人

私にとっての好きな人って、一緒にいて安心できる人、楽しい人、落ち着く人。

どこか自分に似てるところがあって、何も言わなくても分かり合えたりして

それでなんだか甘えあえるような人。

ストレスが溜まって、辛くなって、余裕がなくなって、自分が自分じゃ無くなりそうな時そばにいて欲しい人。自分自身に戻してくれる人。

成長しなくてもいいよって、時々止まってもいいんだよって、一緒に羽を休めて雨宿りしてくれるような人。安らぎの人。

 

 

必要な人って、その逆の人。

一緒にいて、安心よりも刺激がある人。驚きがある人、戸惑いもある人。

自分と違うところがハイライトされて、言葉で伝えなきゃ分かり合えない人。話しても話しても分かり合えなかったりして、それでも話してやっと、お互いの立ち位置がなんとなくわかる。自分とは違うところにいる人。

厳しく律しあう人。

自分が緩んでる時とか、甘え過ぎている時とか、自信過剰・自意識過剰になってしまっている時に、気を引き締めて頭を冷やそうと思えるような人。

一緒にいて緊張するけど、自分のためになることを言ってくれる人、してくれる人。

 

 

今までを振り返って見て、私が大きく成長した時には厳しく指導してくれる人たちがいた。しつこいってくらいに私にあれこれやらせて、私は泣きながら頑張って、いやだいやだ言いながら結局最後までやりきって、最後には自分一人では乗り越えられなかっただろう壁を超えてしまったことに気づく。というか、その人が一緒に壁を壊してくれた感じ。

 

今の自分の限界を越えるために、叱咤激励して火事場の馬鹿力を出してくれるような人が私には必要なんだなぁって思いました。

 

厳しい人って人から怖がられたり嫌煙されたりするけれど、根はすっごく純粋で優しい人なことがよくある。逆に、優しく気を使って接してくれる人って実は自分のことしか考えてなかったりする。

 

私自身はだから、きっと優しいと見せかけて全然優しくない人なんだろうなって思います。優しくて、優しくない人間なんだと思います。

 

そんなわけで、自分の株を上げるとか好かれるってことができないくらいには不器用でまっすぐな人のこと好きだなぁって思う。なんか、下手に優しい人よりもずっと信頼できる気がするの。純粋に突き詰めて夢中になって、気づいたら自分は嫌われ役になってしまったりする人。役割的には、明王のようなものかもしれません。あるいは、ただの不器用と呼ぶのかもしれません。

 

 

これから先、私は人間関係において何を一番大切にしていこうかなって改めて考えた時に「マイナスをゼロに戻す」作業を一緒にしてくれる人は、もしかしたらもういいのかもしれないと思った。そうじゃなくて、マイナスにマイナスをかけておっきいプラスにできる人がいい。それってなかなか大変で、まずは自分が自立をしていないとできないことなのかなって思います。リスクが大きいし、精神力?も問われる。私が今まで、精神的に大変なことを色々体験してきたのって、この大きな掛け算のための準備運動なのかもなって思ったんです。そうしたら不安な気持ちと、ドキドキした気持ちと、まだ見ぬ世界へ一気にジャンプする感覚はどんなだろう?とわくわくする気持ちと、いろんな気持ちがあふれ出た。

 

私に安定は向いてない。

平穏な毎日も向いてない。

わんわん泣いたり笑ったり、コロコロ感情変えながらでも全力で生きてる感覚味わえる方が楽しい。そうじゃないと、せっかく生きてる意味がない。せっかく生かされた命が無駄になる。私が私を生きられないんだったら、それならきっと死んだ方がましだ。そう思ってしまう。

 

社会的に成功して、安定した収入を得て、優しい家族に恵まれて平和で幸せな生活を送るっていうのは私だけじゃなくてたくさんの人の理想の人生像なのかなぁって思うのだけど、私は多分それでは飽きてしまうんだと思う。残念ながら。

 

 

なんかよく、「優しい人が好きです」とか言ったりするじゃないですか。

 

私も昔は優しい人がいいなぁって思ったりもしました。それは、世の中の「優しい人」を知らなかったから、一回体験して見たかっただけなんだと思うの。

 

 

私にとっては優しい人ってなんの手助けにもならないの。悲しいくらい。

その場その場で心が落ち着いたりはするかもしれない。でも根本的なところでの解決とか現状打破はできない。breakthroughもないし、break freeもできない。そんな感じ。

 

 

心の奥底では、いい人も優しい人も嫌ってた。

 

私は泣いてる時に、「泣かないで」っていう人が嫌い。

泣きたい時くらい好きに泣かせてくれって思うから。

 

私が連絡したら、すぐに飛んできてくれるような人も嫌い。

そういう人って肝心なことからは逃げ出すから。

 

私の話をうんうんと聞いてくれるだけの人も嫌い。

ただただ聞くだけで、本当に理解してるのか疑いたくなる。

理解してくれなくてもいいけど、せめてあなたの考えや立ち位置を教えてよ?と思ってしまう。

 

私の好きに合わせてくれる人も嫌い。

私は私で好きにやるからあなたも好き勝手やったらどう?と思ってしまう。

私を理由にあなたのやりたいことを犠牲にするなんて言わないでよねって思っちゃうから。

 

嫌いな人と一緒にいると、私は下手に気を使ってしまって

自分のわがままをぐっと抑え込んでしまうんです。

本当はとってもわがままで自由奔放でいたいのに、優しくていい子になろうとしてしまう。そして、優しい自分が私は嫌い。なんでかって言ったら、自分を生きているっていう感覚があんまりないから。

 

 

昔、ものすごく好きになった子がいました。

「この子と結婚したい!」と思うくらいに好き!となった子。

それまでの人生で、一番好きになった人。

その子はたまたま、女の子でした。

女の子が好きな女の子。

あの時私はまだアメリカでの自分の立ち位置がわからなくって

学生と先生という立場の間でアイデンティティがグラグラ揺らいでいて自分が何者なのかわからなくなってた。

いっつも「どうすべきか?」で物事を考えてた。

そんな時に彼女が言ったのは「自分の好きな服を着ればいいよ」ということ。

シンプルなんだけど、その時の私には大きくヒットした。

あの時の私はまだ「先生」とか「大人」にはなれなかったし、なりたくなかったんだろうなって思います。

まだその準備ができていなかった。だから、私は思う存分モラトリアムの時間を楽しみました。

彼女は私が私でいることを許してくれて、その上で自立するために助けてくれました。きっと無意識なのだろうけど。私は彼女の前では小さな女の子のようで、弱い部分を見せることができて、ヒヨコのように彼女の連れていくところについてった。

 

デートは献血センターだったり、ダンプスターハント(まだまだ使える良いゴミハント)だったり、サイクリングだったりした。当時彼女はヘルパーのバイトをしていて、車椅子で話すことのできない二人の人のお世話をしていた。一度そのバイト先のお家に連れて行ってくれたことがあるのだけど、彼女はその二人を親友のように愛おしそうにハグして、話しかけて、「わかるわかる、そういうこともあるよねー」と会話して、手作りのクッキーをプレゼントした。彼女のやること全てが私には新しくて、驚きで、自分の知らないことの多さを知らされた。何よりも、彼女が女性であったことで私は本当に混乱して驚いて、自分の性自体を根本から揺るがされた。正直かなり大変だった。それでも、彼女がいろんなことを気づかせてくれたおかげでそれが私の研究になり、これからやっていきたいことに繋がって行った。

 

だから、決して楽ではなかったけれど私のことを成長させてくれた、必要な人だったんだなって思います。

 

私が自由なのと同じくらいに彼女も自由な人間なので、すぐに彼女はアルゼンチンに旅立ってしまって、それ以来一回か二回くらいしか会ってない。今はもう、当時のような感情はない。でも、きっと末長く大切にしたい。

 

 

私はこれからも、こういう出会いを大切にしたい。

こういう関係性を大切にしたい。

大切にできるかな。

 

ちょっと不安ではあります。

でも、少しずつでも日々取り組んで、毎日ちょっとだけ自分は成長したなって思えたらきっとそれでいいのだろうなって思う。

 

 

終わり。