なんのために、何を頑張るのかということ

最近、全てが頭打ちの状態で、何をやっても「なんだかなぁ」という状態でした。前のように、夢中になって学びたいものもなくなってしまった(大学院で、自分が知りたいこと理解したいこと、腑に落としたいことを一通り学び終えてしまって、ある意味燃え尽き症候群のような、なんだかよくわからないような状態になっていた。

その中で、お金を稼いでみようかなとか、新しい分野に首を突っ込んでみようかなとか、今まで付き合ったことのないような人たちと交流して理解しようかな・・・とか新しく学ぶものとか、知りたいこと、今まであった情熱と同じぐらいの熱量でやれるものを探さなきゃって思ってあれこれ手を出しては「なんか違う」と思ってた。

 

 

 

多分ね、小さい頃から自分のやって見たいことはやってみるっていうことをやり続けて、しかもかなり一極集中的に取り組んでいたから、自分が自分のためにやりたいと思うことを大抵やり尽くしてしまったのだと思う。

 

もちろん、「この国に行って見たいな」とか「こんな習い事して見たいな」とか「この服欲しいな」とか、そういうものはあるけれど、それはなんていうか、自分の時間のある時にやれたらいいかなー程度のもので、自分の人生かけてまでやりたいという類のものではない。

 

 

それはある意味で幸せなことなのかもしれないけれど、とても不幸なことでもあった。やりたいことがないし、生きる意味もない。もともと私は生きることにも大して執着心がないので、生きるためだけに必死になるくらいならさっくりぽっくり死んじゃえばいいなとか思ってます。一度殺されかけたことがあったけど、今思えば、あそこでさっくり死んでしまっていたらそれはそれで良かったのかもなとも思う。

 

でも、あの時は「今はまだ死ねない!」と強く思った。

自分が本当に死ぬかもって思った瞬間に執着を超えるほどの強い「生きたい!」っていう気持ちが芽生えて、そのおかげで自分の中の全ての知識と知恵が生きながらえるための戦略となって出てきた。結果、ありがたいことに私は今でも生きている。

 

あの時に思った「生きたい」という根拠はなんだろう?

そう考えて、私がふと理解したことがある。

 

それは、例えば大切な家族やパートナー、子供のような「自分以外の誰か」のために私は生きていきたいんだなということ。自分のためだけでは必死になれないことも、自分以外の誰かのためにもなると思ったら頑張る意欲が湧いてくるのだなということ。結局人は、他の人の存在によって生かされ、与えるということによっていろんなものを得ているのだなということ。自分にとって大切なものや大切な人を守るために生きたいって思ったの。

 

長い間私のトラウマになるような辛い事件に遭って、その後に当時付き合っていた恋人ともうまくいかなくなってしまって、たくさんの人に気を使われたり眉をひそめられたりする中で私は一人になって、それでもいつでも存在してくれたのが家族だった。それがきっかけで私は日本に帰ろうと思った。

 

今いる家族を大切にするのはもちろんなんだけど、これから自分自身の新しい家族も欲しいなって思って。恋人というものは、とても安心感があるし楽しいけれど、そこには超えられない壁もあるんだなって思ったから。恋人という立場の人間に私が体験してきたことや辛いことを一緒に乗り越えさせるのはきっとものすごく酷なことなんだと思う。家族と呼べるような間柄の人とじゃないと、きっと共有はできないししなくてもいいんだと思う。日本に帰ってきて、いろんな人によく「彼氏いないの?」「彼氏作らないの?」って言われるんだけど、私はもう「彼氏」はいらないかなって思う。なんていうか、もう付き合うために付き合うっていうことにあんまり価値を感じない。特別したいって思わない。

 

家族って、私にとって嫌いなところも好きなところも、弱いところも強いところも、全て理解しなくたっていいけれど、それでもなんだかんだでそばにいる人たち。一緒にいる時に一人になれて、一人でいる時にその存在を近くに感じられるような人たち。そういう暖かい存在を大切にしたいなって思った。

新しい家族を作るのがなんで「日本」なのかというと、多分日本が(抽象的な概念としてではあるけれど)私にとってのホームであり、それ自体が家族のようなものだからだと思う。海外に長く住んで、小さい頃から散々周りの環境に馴染めず生きづらさを感じていて、どうしたって全てを好きとは言えないし、日本や日本人に対して苦々しく思ってる部分がたくさんたくさんある。でもどんなに嫌いでも苦手でも、日本は私にとって大切なホームで、いざ手放そうと思っても手放すことのできないもので、どんなに物理的に距離が離れようともどこかでつながりを保とうとしてしまう。アメリカに行って日本研究してたのは、実際問題として日本が私にとってすみづらかったからなのだけど、それでも日本との接点を断ちたくなかったからだと思う。自分が完全に日本人で無くなってしまうことが怖かったのだと思う。そしてそのためにも、自分の家族や家族となる人とはその大切な核の部分を共有したいなと思うのかもしれない。

 

 

 

それはそれで自分自身のエゴなんだろうと思うのだけど、私は周りの人のために生きて行くのが一番の幸せだし、人のためになることが喜びだし、そういうことをしてる時に「生きることってなんだかんだで楽しいな」って思える類の人間なんだと思う。なんでかっていうと、きっと私が勝手に相手の中に自分の大切にしたいものを見出してそれを守りたいって思うからだと思う。だから、巡り巡って自分のためではあるんだけど。

 

良い言葉で言えば、それは見返りを求めない愛情で、悪い言葉で言えばただのお節介な独りよがり。どっちでも良いです。

 

私は結局、自分自身のためだけには生きられない。

だから多分、一人では生きていけない。

 

どこかにきっと、「この人のために頑張る」「これを守るために頑張る」って言う誰か(何か)が必要なのだと思うし、世間的に言えばそれはきっと家族(ホーム)なんだと思います。別に家族だけじゃなくたって良いけど。

 

アメリカで日本語を教えている時、私は夢中になって仕事をしてた。

お給料のこととか全然考えてなかったし、私は自分が月にいくらもらってたかとか思い出せないくらいにはどうでもよかった。時給に換算するとどれくらいだろう?とか考えたこともない。ただ好きで休みの日も仕事をしていたし、それで私はハッピーになってた。

 

それはきっと、自分たちの生徒たちのためだと思っていたからだと思う。

教師が生徒のために、自分の自由な時間を割いてまで仕事をすることを生徒は別に強要はしていないし、それによって教師が感謝をされるかといったら全くそんなことはない。生徒たちは先生の隠れた努力には大抵気づかないものです。(というか、そんなものを生徒に悟られるような先生は大した先生ではないのだと思う。だって学習の場での主人公は生徒たちですから、先生が主役になっては絶対にいけない。存在を忘れ去られるくらいの先生が、本当はいい先生なのだと思います)

 

 

日本に来て私がなんだか辛かったのは、自分がなんのために頑張るのかがわからなかったからかもしれない。「この人のやりたいことを守るために自分が頑張りたい」と思えるような対象に出会えていなかったからかもしれない。日本に帰ってきて、日本でしか経験できないことを経験しようと思っていたのに、実際の日本は私が以前日本にいた時と同じようにやっぱり私には生きづらくて、息が詰まった。日本が好きで、日本人が好きなはずなのに、目の前にいる日本人たちのことをどうしたって好きになることができなかった。例外はもちろんあったけど、ほとんどの人のことを。「これが、私が大切にしようとしてた日本(日本人)だったのかな?」って虚しくなった。

 

でもそれは、私が大切にしている「概念」と、それを表す言葉によって表現される実際の物質・人は全くのイコールではないということの証明に他ならない。

 

私が大切にしたいのは、実際のモノや人(の体やコミュニケーション)ではなくて、概念や内側に持っているものなのだと思う。言葉にならないけれど、なんとなく繋がっていて共有していると感じられる感覚なのだと思う。

 

 

10月から新しいお仕事を始めて、そこで私はオフィスワークをしています。小さな小さな会社で、総務から経理、事務、人事・・・裏でサポートする業務全般を基本的には一人でこなしてる。もちろん、そこには税理士さんや弁護士さん、コンサルタントなどの専門家の大きな助けがあるのだけれど。表に立って、直接お金を得てくる人たちがより快適に仕事ができるように環境を整えたり、作業のシステムを効率化・改善したり、必要であれば新しい体制を整えたり。抜群のセンスと情熱で人の心を掴んでお金をもたらして来てくれるスタッフが私は大好きだからこそ、彼らのためになるバックサポートを私はしたいしクリエイティブでエネルギー溢れる彼らが抜けがちなところをさっとカバーしていきたい。それは決して目立つ業務ではないし、多くの人に見過ごされてしまうような仕事ばかりだけれど、私は結局、そういう仕事がしたいんだな、と腑に落ちた。そして、自分がそこまで情熱をもって「サポートしたい」と思えるような人たちが働く場所に身を置くことができることが、私にとってはきっと幸せなことなのだと思います。そして、それは私が彼らのことを好きだからというよりは、彼らが作り出した世界観やセンス、感覚がとてつもなく好きなのだということ。それを守って、進化させていくために私は私ができることをやりたいなって思う。

 

 

 

きっと、ここでの経験は私にとって大切な糧となるんだと思います。自分の人生をかけて、「この人の成し遂げることを、サポートしていきたい」という人のバックサポーターに私はなりたいし、きっと今の場所がそれの最終地点ではないから、そのために必要な経験と知識なんだろうなって思ってる。今はまだ、なんとなくのぼんやりとした感覚としてしかわからないことではあるのだけど。

 

それから、ここでだったら安定して仕事をして、自立した生活を送れるようになれそうだから、それも自分にとっては成長だと思う。毎日の生活をきちんとする、ということが今の私の一番の目標。衣食住をきちんとすること。適度な運動をして、健康でいること。自分が自分のポテンシャルを最大限に発揮するためには、常に自分の体の状態がベストではないといけないなって思うから。綺麗でいることは自信になるし、健康でいることは気持ちがいい。

 

そんな感じのことを最近は考えています。